エストニア国立博物館 -Estonian National Museum Vol.1 プロセス

「エストニア国立博物館(Estonian National Museum)」
2016年10月にオープンした場所。

エストニアは過去、デンマーク、ドイツ騎士団、
スウェーデン、そしてロシアの支配下に。

エストニアの独立は1918年。
今から、わずか1世紀ほど前。

独立後もドイツやソ連の一部になりながらも、
1991年に歌の革命により復活。
その時、国立博物館の建設が公約に。

自国がさまざまな国に翻弄されてゆく中でも、
ずっと、つつましく生活してきた農民や漁民。
独立後の経済発展や、スカイプをはじめとする
ITでは北欧のフロントランナーになった姿。

その自国のアイデンティティや歴史について、
丁寧に紡ぎながら、未来につなぐ博物館。

2006年、国際コンペで3人の外国人グループが勝利し、同時にDGT.という建築事務所がパリにできた。その内の一人は、日本人の田根剛(Tane Tsuyoshi)さん。

実は、本来の条件ではなかった敷地。
リサーチを進めていく中で見つけた、敷地のそばにある、森が伐り拓かれた空白の場所。
もともとソ連による支配下だった時代、ソ連軍の軍用滑走路だった。
その負の遺産に目を背けるのではなく、滑走路の先にエストニアのアイデンティティ、そして未来につなぐという新しい意味付けが博物館に込められた。

エストニアでの現地パートナーとして、HGA という建築事務所が協働を開始。事務所の主宰者の一人は日本人、林知充(Hayashi Tomomi)さん。博物館の実施設計やエストニアでの現地との調整など、役割分担もしながら進んでいくプロジェクト。

しかし、その後のリーマンショック、EU経済破綻状況の長期化によるプロジェクトの長期休止、そして財源の教育への流用化など、建設中止になりかねない状況に。

2013年、独立時に公約であった国立博物館の建設、そして民族の誇りとなる場所が、政府決議により再始動。

一気に現場が進む中で、博物館としてのコンセプトや方向性を持ちながらも、エストニア行政の意向や、国民の趣向も踏まえながら慎重に進んでいくプロジェクト。
2つの事務所は時間的制約の中で、距離というコミュニケーションの課題も越えながら、エストニアの未来のために実現に向けて進行。

2016年、10年の歳月を経て、現実のものとなった博物館。

強くゆるぎないコンセプトがあるからこそ、
人々の想いが作り上げた場所となった。

エストニアの詳しい歴史については、こちらのサイトに良くまとまっています。
エストニアの歴史(エストニア名所図会)

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