中銀カプセルタワービル

中銀カプセルタワービル(東京・銀座)
Nakagin Capsule Tower   (Tokyo, Ginza)

1972年、世界初の実用化されたカプセル建築。
1980年代に日本で広まったカプセルホテルは、これを原型として展開されたもの。

エレベーターのある2棟のコア部分に、合計140個のカプセル(住居ユニット)が留められている。細胞が新陳代謝で入れ替わって成長するように、ある期間でカプセルを個別に交換し、建築も新陳代謝を通じて成長するという構想で建てられたもの。

この建築の設計はメタボリズム(新陳代謝)という建築運動の思想に基づいている。
日本で唯一ともいえる前衛建築・デザイン運動であったメタボリズムは、1960年「世界デザイン会議」が東京で開催されるにあたり提唱されたもの。丹下健三の影響のもと、このビルの設計者で当時最年少20代の黒川紀章氏、30代の槇文彦氏や菊竹清訓氏など、最年長でも40代後半という若いエネルギーで興った運動。

時に楽観的と評されることもある。一方で、この運動の背景にあったのは第2次世界大戦の廃墟からの復興の中、小さな島国に残された今後の発展という切実な課題。社会と建築の関係を問い続け、それに答えようと人間社会と向き合った活動だった。

中銀カプセルタワービルは、メタボリズムを表現したかたちで1972年に竣工。当時は日本でいくつかの建設も想定されたものの、オイルショックで頓挫。カプセルタワーとして実現されたのは銀座にあるこのビルのみという、文化的にも貴重な建造物。

2007年、老朽化に伴う取り壊しが一度決議された。その後にゼネコンの倒産や文化保存の観点からも議論があり、今も保存活動と建て替え議論の渦中にある建築物。

カプセルの大きさは、当時トラックに積めるぎりぎりのサイズ。カプセルを外して、そのまま引越しや旅をするなどの構想もあった。

カプセルは下層階から上層階に順番に設置されている。カプセルをコア部分についたフックに載せ、上部の4カ所をネジで固定している。
上下の隙間も狭く並んでいるため、実際には1つだけを外すことは困難。カプセルを取り替えるには縦一列すべてを外す必要があり、ほかの住民の賛成も必要となるため、建設当初からカプセルは一度も取り替えられていない。

A棟とB棟の連絡通路から、部屋の内部がみえないように付けられた目隠し。

カプセルは5面が外気に接して熱がダイレクトに伝わるため、クーラーなしでは夏場40度くらいに。ユニットごとに室外機を置くも、時には下層階までパイプを伸ばして置かれるものもある。

  

階段室内部に残るピンクやオレンジの塗装。もともと建設当初はピンクやオレンジ、もう一棟はブルーだったそう。

リノベーション後、事務所として利用されていた部屋。
宇宙船のようだという声も多い一方、黒川紀章は茶室をモチーフとしていた様子。天井が低いこともあり、最近は和室にリノベーションする部屋も増加中。

もともと都会で働くビジネスマンのセカンドハウスや書斎としての利用が想定されていた。キッチンや洗濯機のないカプセルは当時、実際に都会で働く経営者に書斎代わりの事務所として使われていたものも多かった様子。

数少ない、建設当初の面影を残す部屋。

オーディオと壁の間は2メートル。窓際にベッドを置くことが想定された。今は205センチ規格のベッドが多く、住民同士で設置可能なメーカーの情報交換なども。

電話、時計、ソニー製テレビ、ラジオ、オープンリールの再生機。
ソニー製のラジオは、紙製スピーカーの劣化もあり音質は落ちるものの、周波数を合わせると今でも聞こえてくる。電話も繋ぐと利用できるそう。

現在は全てがスマートフォン一台で置き換わることもできてしまう時代。もしも今、新しいカプセルで新陳代謝をしたのなら、部屋のしつらえも変わったものとなるのかもしれない。

1972年当時から都市の変化も見守ってきた窓。

内側が内開き、外側が嵌め込みの二重窓。
かつて中央部分を要として、扇子のようにくるりと一周丸く広がるブランドがあった。今は全ユニットともに残っていない。(開かずの間のユニットにはそれらしき物が残るも、おそらく触れると崩れてしまうのではとも考えられている)

ユニットバスもカプセル特注。
現在はお湯が出ないため近くにある銭湯や、フィットネスクラブの会員になり対応する人も多い様子(お湯を温めるウォーマーで2~3時間かけて沸かすツワモノ住人も)。
浴槽には洗濯機を設置している人もあり、利用したい人との洗濯機交流が生まれたりと、限られた空間の活用を楽しんでいる様子。

外観がまるで洗濯機を積んだように見えることもあり、洗濯機カプセルを作ってもいいのではというユーモアも出たり、出なかったり。

必ずしも便利さと快適さがそろっているわけではない。けれども、今ここにある住民達のつながりや情報交換をする日常、暮らしにある知恵や場所への愛着が、どこにでもあるかと考えたとき、何か大切なものが受け継がれ、生み出され、成長しているようにも感じる場所。

見学会を定期的に実施している、中銀カプセルタワー保存・再生プロジェクトを主宰する前田氏は、2010年に「売りカプセルあります」の貼り紙を機に、もともと憧れていたビルのカプセルを購入。ビルの保存・再生のために購入し続け、今では十数戸のカプセルを所有。

実際に見てもらい、ファンを増やして行くことは保存に繋がるという保存活動の一環で、住人に迷惑をかけない範囲という約束のもと公開を開始。今後の建て替えには4/5の議決権と組合員数が必要。議決権の1/2以上の賛成で大規模修繕が可能となる。道半ばではあるものの徐々に賛同者も増えている。

中銀カプセルタワービルは海外からの見学や撮影のオファーも絶えない。そのため英語の見学会も希望に応じて対応している。建築関係者のみならず、海外からの関心も高く保存活動を支持されていたり、映画監督やハリウッド俳優も見学に訪れている。

すでに文化的価値の側面から、埼玉県立近代美術館にカプセルが1つ寄贈・展示されている。ほかにも寄贈の希望は多いものの、入れ替えが叶わない状況が続いている。

本来であれば寄贈して新しいユニットと入れ替えるなど、今そして未来にむけたカプセルを作ってみると、新しいアイデアが出てきて面白いのではないかという構想のもと、企業や学校などコラボレーションの可能性も模索している。